3月の日記



 
 

3月28日

 「鉄腕アトム」最終回。ストーリーは見ていない人のために省くけれども、この物語で自分がどれだけ天馬博士に肩入れしてたか思い知らされる話だった。泣けて泣けて仕方なかったという。結局この物語が天馬博士とアトムの物語だったことに気づかされる。
 つまり結局「アトム」は進化したとはいえ所詮ロボットなのだ、という絶望のまま天馬博士は死のうとするわけなんだけども、その後のシーンが泣ける。
 本当の事を言えば、もっと表現はあったと思う。アトムは本当は全てかなぐり捨ててでも、天馬博士の息子として生きなければならなかったんじゃないか、とすら思う位なのだが・・・でも子供は自由に生きるべきなんだよね。親のものでは無く。
 そういうテーマを多分子供はアトムよりで見るだろうし、大人は天馬博士に自分を投影して最終回を見ていたんじゃないかと思う。で、自分はアトムではなく天馬博士よりだった。  別にアトムが理解できないとか既に自分はアトムとは別種とかそういうわけじゃなく、自分の中の「アトム」は既に「天馬博士」を許してるんだ、っていう事だったんじゃないかと思う。わかりづらい表現だけれども。(だからと言って他者がこれ以上理不尽やっていいってものでもないわけだが)
 アトムは永遠の少年にたとえられるけど、今シリーズのアトムは少年ではなく「子供」だったと思う。それが天馬博士を「おとうさん」だと認める事で成長して、本当の少年になったんだっていう。アトムと天馬博士の物語は終止符ではなく花開いた。

 ラスト直前の恥ずかしがりなアトムの姿が、なんとなく手塚氏の描いたアトムっぽくて、いい印象になってたと思います。お茶の水博士の子としてのアトムが「公的な自分」なら、天馬博士の子である事をアトムが認めるのは「私的な自分を認める」事なわけで、それは明らかにアトム一個人としては成長だから。その「私的な感情」を認めたアトムの姿が逆の意味で自由に見えて、自分はすごくさわやかな気分になれた。
 
 いや、実は演技おおげさな所もあるかなとか、足りない部分もあるかな、とか思いはしたけれど。この1年通しでも、最初は絵柄が古っぽいので大丈夫だろうかとも思ってたけど。・・・実際古い絵柄は感情移入を阻害する部分があったとは思うし。・・・・・・でも、感動できました。ラストはZONEの元気な鉄腕アトムで終わって欲しかったとも思ってはいますが、でも大団円だったし、この一年最高でした。
 スタッフ&キャストの皆さんお疲れ様でした!!


 「ブレイド」。石田監督回で、ギャレンは復活するわ、相川と仁はなんか変な事になってくるわ、小夜子さんは胸中複雑だわ、OPは微妙に変わるわ、そりゃもう大騒ぎさぁ!なんだけれども、ブレイドはどうも安心を与えてくれる回(たとえば敵をとりあえずやっつけて今回は一応めでたし!)みたいな回がディアー戦以後全くないのでテンション張り詰め過ぎでかなり疲れる。もしくは俳優のテンションをあまり高く設定しない方がいいのかもしれない。主問題が各話終了時にある事は間違いないのだが。
 脚本の区切りにメリハリをつけて欲しいというか、一回一回が無理でも2回か3回に一度は完結してくれないと疲れる。「小完結」がないと例えば1,2話ごとの「小テーマ」が視聴者に伝わってくれないわけで(つまり着地点が無い)。ホップステップジャンプだって、一応3段にわけて飛ぶんだから、今の持続感だと休みなしのガソリンなし状態で物語を走らせているようなもんだと思う。ブレイド見ててほとんどの人が疲れるというのはその点。各話にテーマ的充足感がないのはきつい。
 いや、ギャレンの「ファイヤ」+「アッパー」はかっこよかった。ちゃんと。
 それにしても伊坂は余裕。善人なのか悪人なのかもわからないし、何を狙ってるのかもわからない余裕。ピーコックアンデッドだから地球を孔雀の支配する惑星にしようと考えているかも・・・なんて考えると殆どギャグで冗談になってしまうので、「他の理由づけ」は欲しいと思います。視聴者の子供だったら「孔雀惑星になっちゃう!ひー!」とか思うんだろうか?思わないよね;
 映画版がどういう物語になるのかは興味ある所なんだけども、TV本編前のbeforeストーリーでもいいのかもとかふっと思う。思うけどもそれだと新フォーム出せなくなっちゃうんだろうなぁ。どんな話に・・・とか色々考えてます。

 フリマかとしまえんのコスイベントに行こうと思ったんだけども、金欠につき行けず。とほほでした。明らかに不況の影響だよね・・・;

 P.S. 自分の名前にもkoje(e→c)molimoto(→)=「孔雀もリモート」は入ってるわけだけども、この星を孔雀惑星にしたいかというとそうではないんだよね・・・(つか俺伊坂のモデルじゃ無いわけだし、勝つ勝たないの立場でもないし)・・・
 「coz(e→p)(e→l)mo limoto(→)」だからって、コスプレ惑星にしたいわけでもないし。余りレイヤーが増えてもねぇ( ゚ ゚)ボーッ 





3月25日

 いかりや長介氏の葬儀・・・「踊る2」の舞台挨拶で元気そうだったのでファンはみんな安心していたし、てっきり「寿命伸びたんじゃないだろうか」と思い込んでいたので訃報を聞いた時にはぴんと来なかった。じわじわというショックだった。やっぱりがんって怖い。自分の祖母のお腹に先生が僕の手を当てさせて「わかるか?コンクリみたいに硬いだろう。これが憎いガンだ」と悔しそうにつぶやいていた事、その硬さを思い出す。祖母が亡くなってからもう13年も経つけど、やっぱり難しい病気には変わりがないんだと思う。
 「踊る」の演技も本当に良かったんだけど、自分としては4chの火サス系「取調室」シリーズの水木刑事も最高によかった。なんたって主役だし、CMで「必ず落としてみせる」と長さんがつぶやくだけで「おおおおお!!!」と無条件で燃える。それ位一話一話大事に作られていて、自分だけじゃなくむしろ父が大好きだった位で。

 千葉や浦和に住んでた時は「全員集合!」は土曜の夜は当然見れてあたり前の番組だった。(キカイダー&01&デビルマン&ハニーの頃は必ずしもそうじゃなかったんだが)体操ギャグ(センター街のマックの上に仲本氏の店があると知った時にはびっくりした;)だとか東村山音頭だとか、ヒゲダンスはもろにブーム期かぶった世代で、でも一番好きだったのは、OPに続いて始まる舞台劇だった。T山に引っ越した時には全員集合自体が無かった(厳密には専用アンテナがなく6ch系列が映らなかった)のでかなりショックだったのを覚えている。変わりに月1で「ドリフ大爆笑」とか「飛べ!孫悟空」があったわけ。引っ越すと人から言葉から環境が激変して何もかもが無効化してしまうわけだから、関東からの流れで自分をつなぐよすがとしてTVってのはかなり大事。同様にドリフの番組を見ると安心感があったんだと思う。精神安定剤みたいなものだった。ドリフがT山や大阪にもあったおかげで自分はかなり助かったと思う。
 ドリフがどれだけ計算されたギャグを毎回披露していたのか、って事は漫才だの「ひょうきん」の時代になって、漫才はともかく、それ以降のギャグ等々に自分が一切興味をもてなくなってしまったって事で、実感できてたと思う。ザ・ビートルズの前座を果たしたという事もその頃にはいつのまにか知ってたと思う。 

 昨日のNステで(これもNステ自体がもうすぐ最終回なのだが)いかりや氏が築地で久米氏と対談した映像が流れていたのだが、「碇矢」が本名なのに驚き、で、父親が猟師だったって話を見て、それまでの疑問が全部氷解してしまった気がした。多分ドリフのギャグってのは第1次産業や第2次産業の人々に一番共感できるギャグで、その子供たちに一番共感できるギャグなんだと思う(T山にいた時それは本当に感じた(クラスにも猟師の子供とかいたので))。その1次産業や2次産業に携わる人から、都会に出て働くサラリーマンの悲哀を経て、探検隊等子供が夢見る職業であったり、エンターテイメントであったり。
 ドリフメンバーのインタビューもそうだけど、息子さんの「はじめて嘘をついた」という言葉が過去の自分の気持ちとだぶって、泣けた。出棺の時は自分も泣いてしまったのだが。今日はもう何も手につかず。

 ドリフ大爆笑でもメンバーの演ずる役柄やキャラは多岐に渡ってたから、考えてみれば後のいかりや氏が俳優の方に転向していくのは当然の流れだったのかもしれない。あれだけ様々な人物像を演じられるのに「お笑いだから」じゃまじでもったいないし。晩年のいかりや氏の演技は深みも渋みも加わって素晴らしかった。
 遺作の「恋人はスナイパー」の劇場版ではいかりや氏の「日本を守ってくれ」という台詞があって、その場面が何度もTVで流れてるんだけども、ふっといかりや氏の言う「日本」ってのは、ドリフの舞台劇や、ドリフ大爆笑で氏が演じてきたような人々・・・サラリーマンだけじゃなく、老人、家族、第1次産業や第2次産業の・・・そういう意味での氏の演じた「日本」を守ってくれ、という、そういう台詞なんじゃないかと思い思いしている。

 ファンやみんなの願いはかなうと思うので自分は心配していないけれども。
 いかりや長介さん。本当に楽しかったです・・・_(_ _)_




3月21日

 「デカレンジャー」。グリーンことセンの推理もの。慎重な個性がうまく出ていたと思う。5人のメンバーが個性的でそれゆえに事件への解決に結びつくというのは太陽にほえろ!以来の刑事ものの伝統って気もするんだけど、それを戦隊でやるとかなりキャラが立つって事に今更ながら気づかされる。ステレオタイプになってないのも◎。冒頭出てくるアリエナイザーがジャッジメントで無罪(殺人事件に対して)になったシーンも、色々細かい気配りが行き届いているように思えていい。物語の感情的主線が何本も通っている脚本てのは書くの難しいんだよね・・・きっと。
 つかレッド〜ピンクまでの5人の名前が、番茶、ほうじ茶、煎茶、ジャスミン茶、梅こぶ茶、になるなんて自分は全然気づかなかったよ!にぶい;

 「ブレイド」。石田監督回。OPのブレイドVSカリスの戦いで初めてバイク必殺技登場。シャドーチェイサーVSサンダースペイダーカッコよかったです。ただ中盤の橘と小夜子の会話シーンは、なんか気合入りすぎてる気がする。
 実はブレイドに感じている違和感って、登場人物が真剣過ぎるからなような気がする。真剣なのはいいんだけども、「大人なんだからさぁ・・」とか思ってしまう。橘と小夜子にはもっと静かに語らって欲しかった。
 あと仁というミュージシャンの青年が出てくるわけですが・・・この人がレンゲルになるのだろうか?いまいちOPがはっきり見えなかったので分からなかったりして。
 伊坂がついに変身。変身後の姿はピーコック・・・。かなり強そう。そういえばディアーアンデッドは韮沢さんのデザインではなく、篠原さんのものだったみたい。びっくりした・・・&こないだの日記が結構恥ずかしかったりします。
 とりあえずブレイド&デカレンの映画は9月公開決定!(^▽^)

 「アトム」最終回1話前。あんな事になってもあんなに簡単によみがえるものなのか?はさておき、結局友情がアトムに過去の記憶を思い出させる事になるのはいかにもテーマに沿ってるという気がした。ただ、なんというか自分はかなりこの物語では天馬博士に入れ込んでしまう部分があって・・・それはお茶の水博士の内面があまり描かれていなかったからなのだと思う。お茶の水博士ってのはいかにも善人でわかりやすい位に表裏の無い人物なので、無条件に誰もが信頼してしまうわけなんだけども、内面の描写があまりされない事がどうしても天馬博士寄りにしてしまうんだと思う。
 ケンイチたちとアトムとの友情がアトムを救ったのは今回のシリーズのアトムと人々のかかわりの究極的な所であって(ロボット=アトムが人間を助けるのが当然では無く、人間がロボットの心を助け救うこともできるんだ、って逆説)。何となくそんな事を3度目か何かで思うようになったんだけど、結局初見時は「友情」に対して信じる気持ちと幻想視する気持ちが自分は半々で、ちょうどこの回を見た時、自分の心境はマイナスよりになってしまい微妙な心境だった。それでもアトムを見てると涙腺が毎回緩む。パブロフの犬状態であって、理由がいまいち自分にもわからなかったりする涙が結構多いんだけども。
 とにもかくにも次回最終回。




3月20日

 「球体関節人形展」に行ってきました。大江戸線を使えば最寄駅までは結構早く行けたのですが、実は会場まで雨の中を迷ってしまった。美術館の公式サイトの地図が判りづら過ぎた。まぁ時間はかかったけどちゃんと到着はできました。
 で、入場。目の前の空間にハンス・ベルメールの写真が展示され、スライドショーも流れていて結構不思議な雰囲気。入り口ホールには三輪輝子さんの天草四郎やクレオパトラが飾られてて、何ていうか少女漫画的な人形のイメージ。イントロダクションとして、見にくる一般の人が一般にイメージする生き人形系のビスクでどれもきれいでした。
 中に入ると完全に表現主義的な、芸術としての「人形」が多く展示されていました。  今回イノセンスとのコラボって事ではあったのですが、球体関節人形自体は元々好きで(サイボーグシリーズ自体明らかにベルメールの系譜につらなるものだしex. サイボーグライダー)、浪人時から四谷シモン氏の人形にも元々興味はあったので(というか当時三輪さんか恋月姫さんの人形の写真を本で見てた気がする。当時はアングラ誌への露出も少なかったから名前も記憶できない位だったんだが)、自分としては作品群は完全にイノセンスとは切り離してみてました。作家の入れ込む魂自体の質量と歳月自体がイノセンスにまさるので、コラボという事ではないよな、と。
 ハンスベルメール人形の写真集は高田馬場の洋書店で見たりもしてたけど、当時に比べたら色々な表現が見えるようになったと思う。女性同士の愛の表現であったり、男性不在の愛の表現であったり、第2次大戦的戦火の中もしくはガレキ跡の、人形としての女性の表現であったり、そういう事は当時も気づいていたのですが、やっぱベルメールってのは一種理路整然と気が違っていて、自分の一部分に通じる部分があるなぁと思いながら見てた(画集はもっと狂ってます)。誰もがそう思うだろうけど。

 秋山まほ子さんの「りんね」や「看護婦さん」「聖夜」がきれいで良かった。独自の世界で万人が受け入れる事ができるのに、万人が不思議だと思ってしまう。展示場所の金魚を踏まないように歩くのが大変でした。「金魚の気持ち」不思議不思議不思議。作家さんの心象風景がそのまま固体になって出てきたって感じ。
 山吉由利子さん。洗面台に向かった少女の人形「alice」や、ベッド上の少年と少女の人形「遊戯」が良かった。新作の「時の訪問者」もインパクトありました。なんかセーラー服の女学生風な体なのに、横に置かれている頭は学帽かぶった少年のものになってるっていう。

 人間の人体は縦構造なので、横に一つ一つの部位を分解した人形の身体とは異なる。
いってみれば中に骨格の入った納豆のようなもので、実は人形のようにパーツ別分割はできないものだし、当然球体も関節には存在しない。ベアリング骨のようなものはあるにはあるが、
 それを一番自覚的に描いているのは山本じんさんで、人体解剖学的裏付けに基づく人形群は他の人々とは少し違った印象なのだが、実際その理由は「人形T」等、人形に「中身」を加える事で、解剖学を知らない人間の似姿と、解剖学に足を踏み込みかけた博物学的の架空の内臓を同存させているからだと思う。当然ちゃんと閉じた身体を表現もなされてます。永遠の少年(アダム?)と永遠の少女(エバ。かなり売春婦っぽい雰囲気である)の人形で、少年の身体が汚された印象なのは隣の少女との対比である印象を感じた。明らかに少年が純真無垢な目なのに身体は泥にまみれているという。少女はその逆。
 圧倒的だったのはやっぱり「人形\」だろうか。うねりとか動きの大胆さがすごかった。図録だとあのダイナミックさが伝わらないんだけど。

 三浦悦子さんの作品は人体改造とかSM的な描写の多い作品が多く、義躰花嫁のような明らかにホラー系(フランケンシュタインの花嫁)にインスパイアされた作品もあるけど、だからSMでゴシックかといえばそういうわけでは無く、あくまでも自分の身体性もしくは2者間の身体性から来た表現なのだと思うし、だからこの人の作品は女の人の方が好きなんだろうなと思う。
 結局男は自傷的になるにせよ暴力的になるにせよ、まともな人間ほど女性をああいう風にしたいという風には考えないわけで(やったら犯罪者だ)、結局「女性が弱いから」暴力は振るわないっていう風にインプリンティングされてるから、弱い筈の女の人が自傷だの他傷だのに走るってのは、自らが弱いと自覚した上でのテロのようなものだと思う(ありきたりで嫌な表現か?言葉を変えるならスタンドプレイと言ってもいい)。つまり強者抜きの世界で繰り広げられる暴力というか。
 主観で美的に歪曲化された肉体の表現というか、セオリー抜きの肉体と神経のつながった脳細胞の体積に応じた変質的偏執的な肉体の表現というか。自分が好きなのは「バイオリン」「ハープ」「義躰arachnophobia」ですが、「義躰少女工場2」の方も図録では載ってない下の方に妖精のような人形がいて、それが「女性の身体を楽器にして音を奏でている」という雰囲気があって良かったです。バイオリンを女に例えるような感性の具象化。

 恋月姫ドールの部屋。
 恋月姫さんの人形の指先とかを見ていて思うのは「触れたい」ではなく、「触れられたい」って事。触れられる人形ではなく、自分に触れてくる人形であって、そういう恋焦がれるっていう感性が実体化するとこういう感じなんじゃないだろうか。
手先の指先の美しさ、すねの美しさ、指先の力の入り方が、触れたいではなく、触れられたいって感覚を喚起させるっていう。
 「des seele T」の眠りに目を伏せたまぶたや唇、首筋や足等が本当に魅力的でなんかずっと見ていたいんだけども、自分が触れられない、後ろから突き飛ばされると壊れるというのが怖くて。服自体はバレエの衣装なので、もともとプリマドンナを表現した等身大人形には間違いなく、それが読める人と読めない人では好き嫌いが別れるんだろうけど。自分は正直・・・お嫁さんに欲しいとか思ってしまいました。(ネットでも現地でも好き嫌い両論でしたが)
 エーテルTUやパラドックス姉妹さんも来ていて良かったと思います。
 「永遠の約束」っていうのも、なんかヴァンパイアをモチーフとした棺系の作品だったんですが、いい感じでした・・・

 吉田良氏(ドールスペースピグマリオン主催)のドール・・・無題作品が多いのでどれが、というのはいいづらいんですが、展覧会のポスターの着物姿の少女の他、椅子に座った女性像や、FRPっぽい材質で作られて身体が半透明の星体遊戯5、85年の無題作品など、存在感のある人形らしい人形が多く、理想像の追求みたいな所が魅力ありました。洋風なんだけど日本的でノスタルジック。
 木立真佐美さんの「シンクロニシティ」、臀部から下のたくましさというかスレンダーさというか、インパラのような足というか、赤く焼けた大地とサバンナの緑と金色の日差しの肌の色。多分アフリカのサバンナの女性を表現したものだと思うんですが、すごく魅力的かつ感動的。(いや自分エレナ(スト3)好きな位だし)
 伽井丹彌さんの人形群は(舞踏等もやってる方らしいんですが)、身体性を重視した人形で、最も「なぜ人は自らの似姿を作るのか」に一番直結していた作品が多かったと思います。「隗」って作品を見た時、ガラス箱の中の本体の後ろに鏡があって、そこに自分が映っていたんですが、その時「あ、自分と一緒なんだな」と思ったという・・・不思議な温かみがあったりしました。
 で、後で公式サイトのインタビュー読んでみると、なんとあの人形は作者の伽井さんの身体をかたどりして作った人形だったんだそうです。納得
(^-^);
 あと、「生成流転」、月光社さんの人形はかなり長い間見てた気がする。イノセンスをモチーフにした作品だそうです。自分は左から2列目の2体と、中央の十字架の中で翔んでいる人形(ああいう飛翔表現は人形ならではだと思う)、右の機械じかけの少女が気に入ってかなり長い時間見てました。ひじひざの関節になぜか2コ球体が使われていたのも(可動性だけではなく)いい雰囲気!(^^)
 マリオ・A氏の女性ヌードを関節人形に見立てたスチール群も良かったです。パート1は知ってたんですが、パート2のモデルの方がストーカーに殺されてたとは知らなかった。何か本当にリアリティのあるエピソードで作品だけでなくそのいわくが展覧会に緊張感を与えてたと思う。

 球体関節人形で重要なのは、結局頭や胴体、二の腕や手首、もも、すね、足首が別パーツなので、1パーツ1パーツ単位が表現の対象になりえる事だと思う。孕むと大きくなる所であったり、胸の大きさであったり、パーツごとの追求。それは外観的理想であったり、ポジティブネガティブな内面の表現であったり・・・その過程で、つまり顔は少女なのに、頭身は正確には子供であって、腹は幼女、胸は12歳・・・のように具体的年齢を飛び越えてしまった身体の表現も出て来たりする。
 ただ、思ったのは結局エロスってのはパーツの問題ではなくて、人間の精神や身体と不可分なものであるべきだって事だった。たとえば芸術としての人形に性を求めたりする人は多いけども(異性に限らず、時には両性具有すら)、無性を求める人間はあまりいない。人形であれ他者にエロスを求めるのなら、自分がエロスの領域にいないというのはフェアじゃ無いんじゃないかっていう(give&takeが成り立たないじゃん、っていう)
 何にしてもこれほどまでに人間の情熱を注ぎ込ませる理由は、人形の身体が内臓のないがらんどうの殻だからなのかもしれない。外側から見た肉体の不明性も、球体関節人形の抱えているテーマである気がした。

 四谷シモン氏の作品では「天使」の本物を見る事ができて本当良かったです。「木枠でできた少女」もまるでルネサンス時期に作られたかのように美しかったし、同様「目前の愛」も良かったと思う。ところが展覧会を一度出てショップでこの人形の絵葉書を見ると、箱と人形本体は「目前の愛」と一緒なのに、手に杖などを持っているかいないかで印象が全く違っていた。パーツの組換えによって、ポーズの違いによって、全く違う作品になる、という事に気づく。意外。ちょっと気づくの遅いけど。
 「男1」「男2」「男」が良かった。精悍で理知的で逞しい男像。材質が紙と木でつくられているのにも驚かされたんですが。この男の像を作るにあたっては、材質が紙と木である所に意味があるかもしれない。誰でも扱える、昔から人間が扱っている素材で、人間の理想を作る姿勢に打たれるのと同時に、「僕はこんな男になれるだろうか?」とか自問したりした。・・・こんな年になったら無理に決まってるわけじゃん?でも、そんな事を考えてしまう位。
 四谷シモン氏の人形は、「天使」のようなレオナルドダビンチのデザインした人力飛行機や発明品のような近世的科学観が少し入った身体があったり、100年前の人々が夢想するロボット女性のイメージであったりそういうものが色々と入っていると思う。

 今回の作品展では押井氏の言っていた「自分の身体を探す旅」というか、本当にそういう表現がぴったりな展覧会だった。理想の自己を探す旅でもあるし、ベターハーフを探す旅のようでもあるし、肉体的な意味での自分の女性像を明確化できるっていうか、そんな体験もできました。
 天野可淡さんの作品群は何か作者不在の事もあって追悼的雰囲気のある妖精や不思議な聖霊のいる情景のようで、他のスペースとは全然違う雰囲気だった。作者自身が旅立っていった世界を氏の遺した人形で一瞬この世に現出させたとしたら、こういう感じなのだろうか。座って眺めている人多かったです。
 書ききれない作家さんの作品にもいいのが多くあったんですが(土井典さんの人形の前で太ったおばさんが号泣していたのが印象的だった)、最後の部屋の「イノセンスコンセプトフィギュア」と、「ガブリエルMk2」も図録に収録してほしかったです。だってやっぱ、そういう風に並立で扱って欲しかったじゃん本当に!!

 図録はなんていうかやっぱ本物の人形の良さが伝わりづらい写真の撮り方。実物は全然もっといい感じなのです。ちょっと惜しいかな、などと。
 いきなり自分も人形をつくりたくなってしまった。石塑粘土でもいいから作ってみたかったりするのですが。一生に一体でもいいから作りたいと思うよね。
 人形たちにも(実質この日記書いてる時点では既に半月経過している)、結局あそこに集った人形たちにも「別れ」はあるって事で。
 結局自分の思ったのは、人形でも生身でも、触れ得ざるものは大事だ、って事なんだけど、「ボクは人間どころか人形にも触れられなくなってしまったのか」と、結構ショックだったりした。
 自分の心の中の人形が泣くような展覧会だったと思う。本当にいい展覧会だったです。

追:
 来る人々に色んな人々が来るのはいいんですが、なんか本当に一般のおばさん(PTAの堅物的)な人々や小さい3,4歳位の子供たちまでくるのではらはらドキドキ。「局部描写満載の展覧会をアニメとコラボで行うなんてナニカンガエッテルディスカーーー!!」とオンドゥレラされても困ると思ったし、子供が人形壊したらどうなるんだ!!と相当不安。でも結果として年齢制限無しのあの剥き出し展示状態で殆ど人形に破損が無かったのは驚きとしかいいようがないです。
 それはそうとして大人、とくにヲタのマナーの悪さはかなりひどかったと思う。特に例の「des seele」を自分が見ている時、「何これ」「きもい」「見るのよそう」みたいな事言ってた二人連れは片っ端から人形に因縁つけててむかついた。
 恋月姫ドールすら気持ち悪いとかいう位なら見に来るなよ!と思う(怒


(球体関節人形って自分で言うなら変身サイボーグだったんだけども、同型の素体が数多くあるという意味では今回の個展に出てくるような一品性があるわけではないから、変身サイボーグが好き!ってのは、結局「この作家の素体が好き」ってのと同レベルの意味なのだと思う。でも、なんかサイボーグマニアである事に「誇り」を感じられる展覧会だったなぁ、などとも思います。感謝でした。)<なにそれ
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 実際この展覧会を見ると見ないとではイノセンスという作品への理解が完全に全く異なるものになる気がする。例えばイノセンスでの人形の殺人の犯し方が、人間が過去から人形に対して行っている行為そのものだという事がリアルにわかるし、キムの館の設定だけでは無く、イノセンスでは世界そのものがドールハウスに模されているのだという事もなんとなく判ってくるからだ。言ってみればイノセンスの予備知識および世界観を実体験できるという。
 なんか海外公開時には、この展覧会も一部かまるごと海外に行きかねない気がするけど、そうなっちゃったら、作家さんのドール群の値が上がっちゃって、絶対一般市民の手に入るものではなくなってしまうので、入手可能性のある人が激減する直前の展覧会、って事にもなっちゃったりして。そういう意味でも意義あるイベントなのかもしれない。
 もし海外でもこういう展覧会があるなら、人形たちにも「再会」はかなうだろう、という事で(^^)




3月13日

 なんだかよく判らないが、自分の盗撮写真が2ch上にまたUPされる。過去UPされたのは例のdebu.jpgとか、顔写真を八つ裂きにして貼りなおしたようなものばっかだったんだけども、今度は顔面もろに晒しという感じ。ただ、グラサンはつけているので素顔が明らかになってるわけじゃあない。時期的には昨年夏WFとこないだWFの時の。
 で、なんというか全部が異常にデブに見えるように加工してあったりして、それがなんというかあちこちのスレにURL貼られる状態なわけで(それはもう特撮板からコス板からウォッチ板に至るまで)かなり鬱滅入る。何で加工とわかるかというと、例えば後ろに並べられたキャスター台が自分の身体を境に左右で幅が違ってしまってるとか(身体の中央で縦に分割線入れて右側を横に引き伸ばして太らせてある)、首の辺りをレタッチしなおしたり顔のしわを深くしたりパーツ移動したりして首を太く(つか首無いじゃん)見せるとか(なのに足元のタイルを延長して補間してみると、やたらスタイルが良くなってしまったりする)、そういう事を思う存分やってる感じ。しかも各写真で体型が違うのが怖い。身体が同一人物じゃ無いじゃんこれ;
 で、なんでそういうデブに改ざんした写真(実際自分の174,5cmで72,3kgってのは絶対やせてるとは言えないけどあそこまで太ってはいない)を延々貼り続けるのかというと、どうも叩きサイト管理人=多田コテハン=横浜ケーブルビジョン側の連中が、自分の振りをしようとしていて、その為には(彼らデブなので)森本が太って見えないと困るのだ、という事だったらしい。というか自分コスプレの子に本サイトTOPのメルアド以外から連絡取る事は無いので。念の為。
 あと、自分の眼鏡は昨年11/30キャラコン時にこっぱ割れてます。その後に普通の眼鏡をかけた奴が「自分が森本コージ」とか言った事があったとしたら、それは偽者です(^^);
 あいつらの都合でデブに見せかけられるのも腹が立ってくるわけだけども。

 「セーラームーン」だけど、衛に許婚がいたり、ヴィーナスがあと半年の命だったり・・・あ、なるほどそういう事だったんだ、って表現も多かったりする。でも小林さんの脚本的には現在「ごくせん」の方が面白い。結局物語の展開主導の話よりはテーマに筋が通ってる話の方が感動するんだけども・・・。女の子番組を男が作るのは難しいって事なんだろうか;レオタードチラとか側転とかもあんまりやり過ぎないで欲しいってのはあって(というか変身シーンと必殺技シーン自体「やりすぎ」なのだが・・・)。

 そういえばプリンプリン物語がもうすぐ最終回。プリンセスセレニティって絶対プリンセスプリンプリンから来てるよね。人形も素敵です。ガランママの衣装すごすぎ。イラスト描きたい位だよ。
 ファンサイトもかなり熱いようです。 >プリンプリン

 かなり精神まいってるので、ビデオに撮ったままハガレン見てない有様・・・ゴメンナサイ_(_ _)_

 追:「てるてる家族」。もううちの母親がボロボロ泣いてしまってどうしようもなかった。今週は夏子のモデルのいしだあゆみさんが出てたんですが、感じ入る所の多い役柄だったようで(いしださんが若い時にあったクラブの女性らしい)TVの中のいしださんもボロボロ。上原多香子演じる夏子の紅白シーンもいいシーンだった。今週分ではローリー(杉浦太陽)が実は宇宙人か?のようなシーンもあって(BGMはウル*ラQ?)、なんか不思議なノリもあったのですが。
 てるてる家族は、なんていうか戦後のバラックの時代から始まって、昭和3,40年代の懐かしくて良い時代の物語や世間事情が出てくるんですが(逆にいうと昭和風俗の良い所しか出てこない)、やっぱりいい時代だったんだなぁと思います。なんていうか戦争が終わって平和になった、その平和をものすごく享受しているっていう、それがメインテーマであり、現在へのアンチテーゼでもあるんだろうけど。




3月12日

 またオタクが少女を殺した。悲しいとか腹立つとか嫌気が指すとかどうして何故とか色々思ってはいるのだが、それを書いた所で2chの連中等「おまえもオタクだろ?(あんたらはオタクの上にストーカーだろが;)」と言ってくるのは間違いないので余計鬱が入る。少女は天国に行った。そう信じるしかない。
 ニュースを見ながらなんとなく親とも話したのだが、結局萌えアニメブームにも見られるように、男が純愛を求めるなら女に純粋さだとかかわいさに加え「貞操観念」みたいなものを求めるのは仕方のない事なわけで、でも最近の女ってのは下半身軽かったりするから、結局男自身が貞操観念を守った所で、女はどんどん処女はなくすわ遊んでいくわで(しかも女の場合「男が求めるから」ってのが言い訳前提としてあるからなお悪い)、要は純愛求めるなら大人の女は対象から真っ先に削除されてしまう。自分の場合は結婚するなら(前から書いてる通り)「処女で美人なら三十路でもいいぞ!」って思ってるタチなんだけど(処女じゃなきゃならないって事もないが)、普通のオタってのは、どんどん結局対象年齢を下げていってしまう。それで中学位で収まればまだましだが、男に暴力性があると結局幼女狙いになってしまう。要は幼女狙うなんてのは「馬鹿+暴力+女の子に対する共感心の無さ」から来てるわけなんだけども。でも2chコス板にいるレイヤー狙いの「自由恋愛肯定派」のナンパカメコ連中だってそれは全く同じだし、業界人が素人同人少女食い捨てた上「夢を見させてやった」とか言ってるのも全く心境としては同じだろう。
 で・・・とにかく連中と心境が同じでも、だったら殺すか?という事はあって・・・つまりなんていうか、(語られ尽くしてる事ではあるが)少女に一瞬でもいたづらをすると、すぐ逮捕だとか実刑だとか、厳罰性を世間が語り過ぎてるのだと思う。突発的衝動的犯行は絶対どこかで起きる。少女が叫ぶなら男は口を封じるしか無いわけだし、それじゃ男側が手を出した瞬間に少女の死は確定するだろう・・・ってのが、こういう事件の実相で・・・だから「途中でやめたらまだ罪が軽くなる」とか、そういう所まで犯罪予備軍に言わなければ今回のような悲劇は防止できない・・・っていう。
 何ていうか、ペドに対する迫害的風当たりは別にきつくてもいいんだけど(80年代の論争的に言うなら自分もロリ入ってるけどペドではないので)、一般がそういう心境へ理解を全くしない、ってのは問題だと思う。たとえば「レオン」や「源氏物語」はいいけどリアルな話は犯罪だとするアンバランス感覚とか、芸能界で16歳未満がプロデューサー等に食われてしまっててもそれは実際ニュース番組はシカトしてるとか。社会的主張に統一感ないよね。
 それはさておきこの話題また書くかも。

 全然関係ないけど、トヨタのトランペットを吹くロボットの演奏を見て感動。子供の頃自分は(覚えてないけど)地元近くの大阪万博に行って(ずっと階段を上がったり降りたりして遊んでたそうだ)、当時の万博カタログには演奏をするロボット(アニマトロニクス的な)が載ってんだけど、今回の演奏は本当に感動した。表情いいしね、あの顔(^^)
 で、SONYのロボットQRIOが東京フィルハーモニー交響楽団のコンサート指揮の予行演習。なんかほのぼのしてる光景だけども裏にはきっとものすごい努力があるんだろうなぁと思う。昨年のROBODEXでもQRIOのブースは整理券制で見るの大変だったけど。言ってみれば言葉を話して立って歩くアイボなんだが(人がぶつかって倒されても自分で起き上がったりする)、手持ちのカタログを見てからニュース映像を見ると進化の跡に結構感慨深いものが。でもオーケストラの人も大変だよなぁ。
QRIOはこんな事もやってたらしいです。気づかなかったよ(◎◎);
ttp://www.sony.co.jp/SonyInfo/QRIO/works/20040115_nf.html




3月10日

 [FSS]。表紙のロンド・ヘアラインがきれい。アートしてるよね特に。胸腺の部分にクリスタルが来てるデザインも構造的でいい。このエトラムルにはハートがあるって事だろうか?質感的には異星人的なんだけども。
 イントロ部の斑鳩と姫の会話はもっと突っ込んだ事になってくるかと思ったらそうでもなかった。でもこのカップルっていつもいい場面を作るなぁと思う(チロルチョコ等〜)。沿う言えば自分も高校の時、在日3世の女子に姫と同じような事を言われた記憶はある。家父長制度が大事な国の血を引いてる人って家族を大事にするんだよね、きっと。そう思うと姫も在日3世的立場をかなり表現しているキャラで、いい価値観の表現になってると思う。
 主役2人(嘘)の登場シーンは10巻ラスト以上のギャグで、まぁここまで破壊的なギャグをよく少女漫画絵柄でやってくれるというか(^〜^)。でも主人公が出ちゃうと物語のシリアスさが吹っ飛ぶから出番少なくてもいたしかたなし。
 あとMH「KAN」登場。KANがキャラクターズに乗ったのは88、9年ごろの事だったと思うので、当時のトラフィックス設定で見て以来15年目の本編登場になるわけで・・・当時の物語展開速なら88,9年からいきなりヨーンが出てきて2,3年で終了っぽい話が、戦争への伏線理由付け導入も含めて15年かかってる計算になる。で・・・最近、永野氏はFSSで「歴史上の戦争の詳細な記録」を目指してるのかなと思う事がある。MHやドーリーの剛性だのファティマの耐久値だの、食べてた食事メニューだの、どうみても戦争の軍事記録や事務白書みたいな感じで、通常アニメで言う「設定」ってのとは全然レベルが違う。その辺やっぱすごいと思う。
 ラストシーンで茶々出てきてるんですが、やっとこキャラ全部そろったっぽいです。
 NT誌は相変わらず知ったかな悟ったふりした記事(脚注)が嫌い。でも朴さんのインタビューは良かった。
 アニメージュはイノセンス特集が充実してて、設定集もあったのが良。で、何といっても「富野に訊け!」が良かったです。こういう事を大人が言わないと駄目だよなーと思う。ていうかVi:5話もそういうテーマだったんだけど、富野氏が言う方が多分説得力あるし、何人の大人が言ってもいい事なんだよね多分。賞取った少女作家のくだりではもう痛快過ぎてたまりませんでした。

 あとは某誌を買おうと思ったんだけどお金が足らずに買えず。・・・そう言えば攻殻のやまとのフィギュア、ガチャガチャとボックスアソートではラインナップ違うんだね・・・(ヒソ

 某所から電話があったんだけど・・・駄目です。全然わかってません。自分は「あなたに読んでもらいたくてメール打ってるわけではない」って事で。部所へのふりわけは送った入り口がしてくださってる事ですから、「過去何ヶ月も反応返してくれなかった1部所にいきなり無理解な反応されても僕は困る」って事です。以上。




3月7日

 ここ3年行っていたサマーランドのフリマが終わる。おもちゃとかグッズとか一杯買ったなぁ・・・駅からてくてく月に2回も。よく通ったもんだと思う。行き帰りはほとんど地引網猟の世界だったわけで、しかも駅まで登り下りを歩きだから腕力ついちゃって。
 終了理由は「ムツ*ロウ王国」が越してくるってのが理由。確かにムツ*ロウさんが来るのでは近所の動物好きな子供連れご家族がみんなやってくるのは間違いないし、今までのように日曜に駐車場をフリマに開放する、なんて事も出来なくなるって事らしい。メッセ昭島も無くなるし個人的にはむしょうに残念。めぼしい品物買物した後のリアルゴールドがおいしいわけでさぁ・・・フライドポテト山盛で油でおかしくなっちゃう位だった、とか湖畔がきれいだとか・・・
 何でフリマが好きかというと、普段会えない層の人と会えるからで(玩具イベントや同人イベントというのは逆にいつでも会える層の人である。昭島CWなくなったりするリアルもあるのでそうとも断言はできないが)、お金のある人もない人も一応平等に素性抜きでぶっちゃけ話ができる所だと思う。米軍基地の人が買いに来てたり、子供が売ってたり、うぶだし屋がいたり、身障者の方が家族のためにカメラや時計を探してたり、人間性のるつぼなわけで、飾り気とか粉飾が無いからボケーッとして歩いてて結構楽しい。出物もあるし、性に合ってるし。
 一部移転なんだけどもエキノ〜問題はどうなったんだろう?と思いつつ、顔なじみの人々の次の出店先を聞いたり、駐車場入口のおばさん達とご挨拶したり。「バイトなので、終わったらお仕事なくなっちゃうんですよ〜;」との事。みなさん寂しそうでした。

 「デカレンジャー」結構面白い・・・のだが、自分がリアル路線に馴れてしまったからかなかなか取っ付きづらい。バーチャル世界ネタは海外映画にもあるし、MIB的要素は明らかにあるのでこういう路線は間違ってないと思うのだが、ナンパなようでちょっと硬派過ぎる気がする。なのにネタ的要素も多いので少し疲れる。
 「ブレイド」・・・伊坂は警察庁の人間かと思ってたのだが、どうも違うようだ。しかもアンデッドでかなりの悪人。手段を選ばな過ぎるキャラになってしまったのは、脚本というよりはプロデューサー側の意向な気がするので(脚本はハミデカの方なわけだし)どうもその辺内部で進路方針の一致を見ていないって気がする。ラストの3ライダー+アンデッドの戦いは燃える事は燃えるんだが、中盤の虎太郎の発言はかなり笑った。あの発言はもっとさらっと流して良かったと思う。けれん的に不自然なのはよくない。それも戦隊風味なのだろうが。諸田監督の映像はいいのだけども、微妙。
 むしろキャラを立たすために全キャラ個性ぶっとんでる方がいいのだろうか。現状「オンドゥルが個性」って言われてる以外の演出も無くては、って事で。
 「アトム」。ロボタニアに向けられた人工衛星レーザーをアトムと青騎士が止めに行くのだが、ここ数話のボルテージはあと3回で最終回という事もあってすさまじい。平成ウルトラスタッフの面目躍如!!見つづけてきて良かったという感じです。現行アニメの中でテーマ的には一番大人な話だって気がするので結局。
 中盤に出てきた「アトムの新しい身体」もすごい(あれも結構かっこいいと思うが;)。その体への移行を拒絶するアトムなんだが・・・「大人になる事を拒絶する少年」を見ているようで、「だからアトムなのだ」という表現も入り混じっている事は間違いないけど、 「大人になる事を拒絶する = だからアトム」なのか? という事は見終わってからいまだにひきづっていたりする。
 アトムに人殺しをさせない「願い」や、アトムに王になってほしい「願い」や、色々なものをアトムが引き受けていて、例えば天馬博士の意に添わない行動をアトムが取っていてもそれは実はまだ「選択」では無く、アトムは「選択」をしてはならないのだと思う。その瞬間にアトムはアトムでなくなると思うし、例えば王になった所で、人を殺さない未来はある筈だ、と思うのがアトムだろうから、自分はぶっちゃけ「受け皿」(身体や肩書き)じゃ無い、と思う。難しい問題なんだけども。
 アトムと青騎士は力を合わせてレーザー衛星の照準をすんででずらしてロボタニアを守るのだが(絶望的破壊力)、そのギリギリ感もドライブ感も、熱いし燃えるしなにもかもが切ない。以降3話は絶対見逃す事は不許可という感じです。




3月6日

 「イノセンス」見に行ってきました。
 本当の所をいうとIG作品なので「また女の子にきっつい話なのかなぁ」とか思ってたんですが(人狼の時なんか観客の女の子号泣してたし)、実際は思ってたより遥かにいい映画でした。筋書きは公式サイトにも大体書いてあるし、ネタバレはすべきじゃないので、抑え目に感想書きますが、かなり淡々とした映画で、なおかつ(あまり語られていないのですが)実はアクションがかなり凄いです。恐らくラストアクションは劇パト1に匹敵するんじゃないか、って思うし、そういう意味では進化系でありながら原点に立ち返ったかな、という気もします。
 前情報にあったバディムービーというラインもかなり出ていますが、「踏襲」が明らかな部分が多いので(リーサルウエポン風といえば判りやすいし、却ってそういう風に構えて見に行った方が余剰情報を楽しめるとも思う)、言ってみれば文字通り「バトーとトグサの怪しき人形をめぐる旅」という感じ。実は自分感情移入しすぎで見てたので、かなり引用セリフは自分の中で浮いてしまっていました。もっと他人事のように突き放して見るべきアニメなんだな、と思って、途中で方向修正してみていった感じです。泣けるかというと(自分はなけなかったのですが)ラストまで含めて自分にはかなり身につまされる話で共感しちゃって、つまり人間としての肉体と概念としての人形が明らかに自分の中では混在してしまってるから、特殊な話だと思えなかったわけで(いっつも人形相手にしてるわけだし)、それが逆に寂しいなとは思ったりした。やっぱ「この人形を描いた話って日常と違う!変だ!!」と思いたいじゃん。自分にとって自然すぎるって事実が逆にショックだったという・・・・
 キムの館のシーンではひさしぶりに「うる星2」以降の押井節を楽しめた感じ。ていうか竹中直人はまりすぎなんですが。パンフにはもっと若い声を想定してたとも書かれてたんですが・・・面白かったです。声優さんも素晴らしかった。話が地味なので堅実過ぎるのもどうかと思うんだけども。ハラウェイ女史の出番はもっと長いかと思ったんですが意外と短く、でもあの人がいなければバトーの「人形地獄巡り」も始まらない。
 各キャラ大事に描かれてるなぁ・・・と思いました。登場する人形群(特に球体関節人形)なんですが・・・ハダリがとにかく、怪しくはかなく可憐できれいに描かれていて。人形研究の成果が出てたと思います。&素子の出し方が良かった。田中敦子さんの声が暖かいです。バトーの大塚氏もカッコイイし、トグサの山寺氏も唯一人間に一番近い役って事で生身の弱さが出てて良かった。何が最大良かったかというと、ここしばらくのIG映画のなかで一番女の人や女の子を大事に描いた映画だと思ったので。キャラクターを大事に描いてたって事が重要だって事で。
 ああ、どこかガイノイド系の人形出してくれないかな・・・1/6ハダリとか欲しいよね。動かなくてもいいから、概観がそっくりな本物として。(クールガールの1st版素子も欲しいのだが・・・)
 それはそれで高そうなんだが・・・・・・(爆
 
 川井氏の音楽がかなりグレードアップしていて、物語盛り上げてました。「遠神〜」もなんか75人のコーラスだそうで染みます。よりパワーアップされたOPも良。すごくストイックに寂しげな部分があるかと思えば、絢爛豪華、堂巡目眩、純粋無垢、愛別離苦。とにかく(さながら過去の「メトロポリス」のように豊穣で)フィルムからあふれるものが本当に多い。ラストは気分よく終わったし、すがすがしいと思いました。
 過去のIG映画は人倫無視の表現もあったけど、今回は人形は壊れても、対象への愛情が感じられたし、本当いい映画だったと思います。でも自分があの大量な引用句理解するのはそーとー先かなー(^^);(初見感想)




3月5日

 ライダーVi:ーM、5話完成。
 と言っても文章減らしたり<br>タグ打ちが残っているので、実際的にはもうしばらく時間がかかるかもしれない。Vi:は風俗がテーマなのか?とか色々言われたけどそうではないってのはなんとなく見てもらえれば分かると思うんですが。
 話の構造的には昨年1月時点で構想した通りです。後半物語的に重要だったのは、倉田の室内のシーン、ラストのリカの台詞と、燃えていくのぼりのシーン、戦闘シーンで、それ以外は全部単に複線で埋めただけです。複線部を描く事がテーマにつながってくのは判ってたんですが、文字減らしが大変でした。これでも元の1/2になってます。
 他の詳しい解説は5話下部に後で付け加えるとして・・・そろそろ怪物の擬音ネタ切れ!パターン化まじ鬱です。それでなくても文章のみで物語を描くってのは疲れるのに(笑)
 5話は多分自分の気分的にはイノセンスに対応してるんだと思います(まだ未見なのでなんとも言えませんが)。逆なような事を言ってるんですが、実は語られるテーマが表裏関係の同じ事なんじゃないか・・・とはふっと思ってます。
 ここだけの話、昨年555放送中に5話を発表できなかったのは、木嶋の特殊設定をあの段階で発表してしまうと、不快感をしめす(もしくは混乱)人々が多いだろうという予感があったからです。ブレイドに話が進んでくれたので書きあげられたって部分はあるかもしれません。

 イノセンス特番。竹中直人氏が解説してますが・・・結構ネタバレ映像多し。なかなかスペシャル番組として面白かったと思います。勉強にもなるよね。映画館にはやっぱ初日に行きたいので、球体関節人形展はまた後で・・・(^^);




3月1日

 渡辺謙もたそがれもオスカーを逃す。めっちゃ悔しい。
 で、ロードオブザリングが賞を総なめなのだが、「指輪物語」は世界的大メジャー小説で、あれがなければ耳の長い妖精っていうイメージは世界に波及してない筈なのでそれはそれで仕方ないかもしれない。
 「指輪の魔力に心が打ち勝つかどうか」を背負っているのは人も妖精も変わらないというスタンスが、キリスト教的世界観に通じるものであり好感は持てる。ただそれらが普遍的テーマとは言え、元来白人社会に伝播するストーリーではあるので、なら逆にラストオブサムライはどうかというと、これは日本民族の話だから伝わりづらいのだろうか。
 どちらも民族の信念めいた話ではあるんだけど、「日本VS全西洋ではどっちがメジャーか」ってハリウッド感覚ではやっぱ指輪物語には負けるよな、って事である。別に指輪物語と競ったって事ではないんだけど。
 もしくはもはや「サムライ」を除外してアカデミー取れる位の作品を作らない限り、賞を取るのは難しいって事かもしれない。

 結局、イノセンスの舞台挨拶の前売り券は既に完売してしまったようだ。公式サイトの方にアナウンスが出ないなーと思っていたら、既に東宝サイトの方で流れてたようで、ゲットできず。大失敗。まぁその前後の回で見に行こうかとも思ってるんだけど、日比谷東宝他。まぁ後日再舞台挨拶してくれる可能性もなきにしもあらずなんだが。
 公式サイトにロングバージョンの予告編が出たり、竹中直人が深夜のカウントダウン番組の司会をしていたり、結構熱い。ついでに今日は「素子を探せ!」のボイスメッセージが見つかったのでちょっと嬉しい。どのサイトだったかは内緒。

 結構あちこちで聞くようなそうでもないような話。・・・俳優やアイドルを目標にする子とか漫画関係でもコスプレ少女でも何でも、夢を見ちゃうタチの人にきつい時代ってのは続いている。どことは言わないけど、たとえば即売会同人でやってるだけの若手の女性の描き手に、プロ作家が「プロになれるよ」とか「上京しなさい」とか言ったあげくにひとり暮らし&上京をうながすわけなんだが、現実的にそういう子にはお金がないわけで、なら「私の知人にいい金貸しがいるから」って事でお金を貸すわけだが、その相手が実はやばい業者とつるんでいたり。
 漫画でもアニメでも、女優でもプロレイヤーでも、実力商売だから、実際の所は借りた金が返せるかと言えば、努力してもそれを出来ない確立の方が高いわけで。ところが更にひどい場合は結局それは業者と金貸しと最初に話しを持ち出すプロ作家のマッチポンプで、そのプロ作家が「ろくなもんじゃないからあの子は使わないように」と業界内に指示を出してしまえばその少女は使われなくなり、お金を返せなくなってしまう。そうすると金貸しの言う事はひとつで「風俗だのAVだので働けば返せるよ」という事になる。最初の目論見どおり、って事で・・・。で、その金貸しと同じマンション(オートロックのかかったような)の中のつての風俗店で働かされたりしてしまうわけだ。あくまで例えだけども。
 最近また聞いた話なんだけども、実は過去に5回は聞いてるような気がする話。要は夢を追いたくても、わざわざ金を借りたりはするな、って事。なんかそう考えるとアニメの「ギルガメッシュ」ってそういう所から来てる設定が多そうな気がする。気のせいか。